京都フリータイム 10/24

今日はフリータイムの日です(帰りの新幹線の時間は決まっています、その列車に乗り遅れると全額自腹となります)、まずは 市バス1日券を買いに地下鉄の駅に行きます、バスの中でも発売していますが無くなる事もあるらしいから地下鉄の駅で買いました、荷物を預けるため京都駅に向かいました。

 今回の見学地はあまり?有名で無い所です


【光悦寺】
鷹峯にある日蓮宗の寺。元和元年(1615)に本阿弥光悦徳川家康からこの地を与えられ、一族や知己と移り住み芸術村を営んだ。その折、本阿弥家の先祖供養のため位牌堂をもうけたのがはじまりで、光悦の死後、ゆかりのこの地に光悦寺として創建された。三巴庵、了寂軒など、趣の異なる茶室が点在しており、周囲には光悦垣と呼ばれる垣根が巡らされています。

【常照寺】
吉野太夫ゆかりの寺院で、元和元年(1616)に本阿弥光悦が土地を寄進し、日蓮宗の中興の祖、日乾(にちけん)が創建した。日乾に帰依した二代目吉野太夫が寄進した朱塗りの山門は「吉野門」と呼ばれています。

この写真は特別展が行われていて写してはいけないモノですが、見張りの人が良いと言うから写しました(バレればその人叱られると思います)

【源光庵】
 再興当時の姿を今に伝える本堂に、有名な丸い窓と四角い窓が並びます。

まずは「迷いの窓」と呼ばれる四角い窓の前へ。四角形は「人間の生涯」を象徴しており、窓越しにお庭を眺めながら、これまでの自分の人生を見つめてみましょう。そして、「悟りの窓」と呼ばれる丸い窓の前へ。円は「禅と円通」の心を表し「大宇宙」を表現しているとか。この窓と向きあうことで気付きが生まれ、悟りの境地へと導かれるという意味が込められています が 私には分かりません

 徳川家康の忠臣であった鳥居彦右衛門元忠の一党の約1800人が、石田三成の軍勢と交戦し、多くの武将が討死しました。生き残ったおよそ380人全員も自刃し、流れた血痕が床に残されました。亡くなった一党の魂を冥福しようと、血痕の残された床板は5つの寺院にわけられ、一部が源光庵にも奉納されました。そして床板を天井にあげ、一党の魂の供養が行われました。ところどころに血で染まった足跡がありますが、それはここ源光庵にしか残されていないのだとか、手の跡等も残っています、小さく表示がされていますが気が付く人は殆どいません一度見てください。

【釘抜(くぎぬき)地蔵  石像寺(しゃくぞうじ)】  
 諸々の苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様

蛸薬師堂(永福寺)(たこやくしどう)】  
蛸薬師と称されるゆえんは、かつてこの寺にいた親孝行な僧が病身の母の求めで「タコ」を買ったが見とがめられ、進退につまった僧が日頃信仰する薬師如来に祈念したところ、タコは薬師経に変わり、また母の病が癒えたという、どこに有るのか分からず歩き回りました。

     下の2か所も予定に入れておいたのですが・・・
 六道の辻:すぐ近く迄行くことが出来ましたが、時間の関係で今回断念(清水寺に近いためすごい人の波、バス停には人の塊が出来ていたためバス停に並ぶことにした)
 永観堂道:同じく断念 次回に取っておきます。